2017年7月、105歳で亡くなられた日野原重明さんは、聖路加国際病院の院長をはじめ国際基督教大学教授、聖路加看護大学学長をつとめられ、生涯現役の医師として生きてきた方でした。
またその生涯において第二次世界大戦、よど号ハイジャック事件、地下鉄サリン事件など、この日本で起きた大事件に立ち合い、向き合ってきた方でもあります。
そんな方が93歳のときに語った「人生の旅で学んだこと」とは一体何だったのか。
私は知ってみたいと思いました。
苦難や困難を糧に
日野原さんはずっと順風満帆の人生を送ってきたわけではなく、貧しい牧師の家に生まれ、急性腎臓炎や結核性肋膜炎を患い、後遺症に苦しんだそうです。
しかしそのような経験を「患者の気持ちを知る大切な機会」であったとし、若い医学生や看護学生にも冗談交じりに「君たち、死なない程度に病気をしなさいよ」と言える強さがありました。
また、戦時中すでに医師として現場にいらした日野原さんは、1945年の東京大空襲で病室が足りずに、聖路加国際病院のチャペルやロビーにまでマットを敷いて負傷者を受け入れた経験を生かし、病院建て替えのときに廊下やチャペルなどにまで酸素吸入の配管や吸引の配管をめぐらせた結果、それから50年後の1995年に起きた地下鉄サリン事件で大勢の被害者を受け入れ治療にあたることができたのです。
辛い苦しい経験を自分ひとりのものとせず、そこから学び、その経験を生かして、次の世代に道を示す。
私はまずこの本から、日野原さんのそういう姿勢を感じました。
「いのち」と「死」
「いのちは大事なものだと学ぶ機会は多いけれど、実際の死に触れたり、死について教えられたりする機会が今の子どもたちには少なくなっている」と日野原さんは語っています。
だから、子どもに生老病死を隠さず見せなさい、「教える」のではなく一緒に感じて考えて、そんな大人の姿勢を見せることで子どもは学んでゆくのだと。
実際に、核家族化と少子化が進む現代では子どもが「死」に触れる機会は滅多にありません。
私自身も祖父母や親族の葬儀の経験こそありますが、ともに生活している人の最期に立ち会った経験はありません。
いつかは必ず自分も迎える死というものについて、ちゃんと感じたことも、考えたこともなかったのではないかと、この部分で気づかされました。
まとめ
日野原さんは子どもから老人まで、医療者や患者という立場も問わず、すべての人を対象にこの本を書かれているということを感じました。
子どもへは「いのちの大切さ」を。
老人へは「老いてのあり方」を。
医療者には患者の心を感じ取ることを、患者には自分自身の心と体を知り、医療者へと伝えることを。
そして子どもから老人まですべての人を“ひとつながり”とし、本来の生命のありかた、本能の赴くままにではなく自然に生きることとはどういうことなのかを全編にわたって語っていました。
すべての世代がつながることで、子供が人生の意味や記憶・経験の継承を学び、より平和に争いのない未来がくるようにと強く願っているのだと訴えかけてくる、そして日々の生活のなか、そのことについて深く考えさせられ、人生のありかたをもう一度見直そうという気持ちになる、そんな一冊でした。